先日愛国心と教育のことについて書いたけれど、今回は新聞からおもしろい
記事をみつけたので追記をしたい。(English translation comes at the end of the article.)
愛国心をはぐくむことを考えるとき、日本のことを知ればもっと日本を好きになるのに、と思ってやまない。これは、いいところも悪いところも含め、日本人が「事実=facts」を知ることが必要だ、という考えに行きつく。日本のことが好きか否かを決めるとき、日本がどんな国なのか、いいところも悪いところも知らなければ、結論はうやむやになるだけだ。これは例えば人を好きになるということに似ていると思う。その人のいいところはもちろん好きだが、悪いところも理解し受け入れることで情が深まるというものだ。
私は戦争中の誇れざる事実を歴史の授業で避けて教えていることが、「愛国心の希薄さ」に関係しているのではないかと思う。戦争体験者たちから次世代へと社会の担い手が変わり、日本の歴史の中で何が起きたのか、という記憶が、だんだん薄れてきているという現代の世相もあるかもしれない。だからこそ、歴史教育の中で戦時中何が起きたのか、を若い世代が認識することは今後の日本の将来にとって大切なことだと思う。
この件について、日本研究者ジェラルド・カーティス氏の考えが私のものと似ていたため、ここで紹介したい。氏は今回の阿部首相による靖国神社参拝の件について述べている。
以下ジャパン・タイムズの
記事から抜粋する。
(ここからは記事の英文を私が訳したものです。間違いがあったらご指摘をお願いいたします。)
「暗い過去をつぐなうことに誇りを持とうーアメリカの研究者日本に向けて語る」
「カーティス氏はこうアドバイスする。『誇れざる事実を認めるということに誇りを持ちなさい。』歴史をみつめなおしてきた他の国々のように。例えばアメリカでは、アメリカ先住民への迫害について、またはソビエト連邦とアメリカ合衆国の冷戦がベトナム戦争に発展したという不愉快な事象を学校教育の中で取り扱っている。」
(中略)
「『日本では歴史の記憶は薄れ、中国と韓国では歴史の記憶がより濃くなっている。』とカーティス氏は言う。他の戦死者たちと共にA級戦犯が祀られている靖国神社へ政治的最高指導者が参拝することの歴史的なつながりを今の日本の若者たちは知らない。靖国神社は日本国の神道崇拝の現れと軍事国家の象徴であることを効果的に示すために使われた。」
(中略)
「カーティス氏は続ける。『阿部氏はこう、公に発表しなければならない・・・戦前に日本が行った事柄につながるような価値観は今日の日本において存在しない。』その価値観というのは、『植民地保有国になること、近隣諸国に対し武力を行使すること、そして若い女性たちを日本兵士の性欲解消のために集める、こういったことを容認するような価値観である。』とさらに詳しく述べた。」
(中略)
「『(阿部氏)本人が信じる信じないに関わらず、そのような過去をふりかえる内省がなければ、他にどのようにして(日中韓の靖国神社)問題を本当の意味で改善するのか私には先が見えない』と教授は語った。」
抜粋終わり
靖国神社参拝問題についての中国と韓国の反応を見る限り、私たち日本人が彼らに対しひどいことをしたということが伝わってくる。ただその反応の過激さを妥当か否かと判断するための知識は今の日本人の間にどれだけ浸透しているのだろうか。私はどう考えていいのかわからない。何が起ったのかを知らないから、どう反応していいのかわからないのだ。
アメリカには「ヒストリーチャンネル」というものがある。このチャンネルは一日中ずっと歴史的な事柄についての番組を放送するものだ。かなり頻繁に日本対アメリカの第二次世界大戦の戦況について放送されることにまず驚く。(もちろん、たいがいは日本人の卑怯な真珠湾攻撃について、が多いのだが。)次に驚くのは、日本の歴史の授業で習ってきた事柄とは微妙に違った内容が放送されるということだ。記憶があまり定かではないのではっきりした例を挙げることはできないが、私の感想は「物事には表と裏があるように、同じ第二次世界大戦についても日本側の意見もあるし、アメリカ側の意見もある」ということだった。
しかし、考えてみれば、日本人だって、アメリカ側の言い分を知っておくべきではないだろうか。きっと真実は(そんなものがあるのだとすれば)、日本の言い分とアメリカの言い分の間にあるはずだ。
一度とても恥ずかしい思いをしたことがある。これは第二次世界大戦中に起きた「従軍慰安婦問題」に関することだった。アメリカ人の友人に詳しく聞かれ(慰安婦たちはだまされて連れて来られたのか、性的奉仕は強制的なものだったのか)、何も知らない自分に顔から火のでる思いだった。
私の記憶の中では、歴史の授業中に習った従軍慰安婦問題は表面的に扱われており、実際何があったのかには全く触れられていない。ただ私が覚えているのは、「従軍慰安婦問題」は今も解決されておらず、第二次世界大戦中にあったことだ、ということのみ。大学入試の過去問にも「従軍慰安婦問題」はいつの時代に起きたものか、どんな歴史的事柄に関係して起きたのかということが問われるだけだった。実際のセンター試験でこの問題があったかどうかは記憶に残っていない。
学校の教科書に当時の生々しい現実をどの程度記して義務教育で教えるか。昔、ニュースで歴史教科書問題について議論があったのをぼんやりと覚えている。ただ言えることは、従軍慰安婦問題に対する日本人の知識のなさは、被害にあわれたたくさんの女性たち、多くは日本軍に占領された国々の人々、そういった人々の負った傷に報いることができない。そして、この問題について世界という舞台で議論された場合、日本人である私には、いいも悪いも決めることができない。判断材料があまりにも乏しいのだ。これは大変つらいことだ。自分の国の立場を擁護することも、またはこちらの過ちであったと潔く認めこれからの改善策を提案することもできないのだから。これは、従軍慰安婦問題だけに限ったことではない。その他諸々の恥じるべき過去の事実が、オブラートに包まれ暗闇の中に置き去りにされている。
海外に出ると、日本の政治問題、歴史、建築、文化などいろいろなことを聞かれることが多くなる。きっとこれは私に限ったことではないと思う。日本人が他国の人と交わるということは、当然日本について聞かれることが多くなるということなのだ。質問をする人には、これらについて専門的な知識を知りたい、という意図はない。ただ、「私」が、または「日本人」がこれらのことについてどんな意見を持っているのか、というのが聞きたいのだ。従軍慰安婦問題や靖国神社参拝のような歴史的にも政治的にも世界的に問題になっていることを日本人が知らないという事実が、本当にそれでいいのか、と疑問に思う。
メディアの中で日本人が英語が話せない、と騒がれて久しい。英語ができるか否かを話し合う前に、まず、日本の世界に置ける位置、日本が何者なのかを考えなくてはいけない。そのためには、今社会の中で何が起きているのか、その事柄と歴史はどのように関係しているのか、これを知らずして、日本の国を弁護することは困難だ。外国人に日本について聞かれた場合、私だって日本のことを誇らしく語りたい。明白な事実を知りさえすれば、誇らしく思うことも、悪しきを受け入れ将来への希望を語ることもできるのに。いくら英語が話せたって、話す内容がなければ言葉は役に立たないのだから。
ただ単に、従軍慰安婦問題についても靖国神社問題についても自分で勉強すればいい、といわれればそれまでの話なのだけれど。
I wrote about national patriotism in Japan in my
last posting.
I found a good newspaper
article on the
subject, so I would like to write a bit more.
When I think of how to foster patriotism for my own country,
I feel strongly the need to learn historical “facts” including the good and the
bad. Without knowing the facts, passing
judgment on a country is not appropriate.
It is kind of similar with people.
When you like someone, it means that you like his/her good personal traits,
but also you accept and understand his/her bad habits. Accepting the bad deepens the
relationship even further. It might seem naïve to support a country only
understanding its good points.
I think the main reason Japanese people have minimal affection
towards their country is directly related to Japanese history classes/textbooks
not explicitly discussing the unpleasant matters regarding Japan during
WWII.
An article from Japan Times presents a nice discussion, so I
wanted to share with you.
"Take pride in mending dark past, U.S. scholar tells
Japan"
Quote
"He advised Japan to ‘take pride in admitting what
you’re not proud of,’ just like other countries that have re-evaluated their
pasts, including the United States, where schools address uncomfortable truths
about issues such as the treatment of Native Americans, the segregation era and
the Vietnam War."
…
‘There is a loss of memory in Japan and an intensified
memory in China and Korea,’ Curtis said, adding that Japanese youth now are
unaware of the historical context surrounding Yasukuni, where Class-A war
criminals are honored along with the war dead. The shrine served as a potent
instrument of state Shinto worship and a symbol of Japan’s militarism."
…
"’Abe has to come out and say . . . there is no room in
Japan today for the values that led Japan to do what it did before the war,’ Curtis
said, elaborating that they are the values that led Japan ‘to become a colonial
power, to use force against neighboring countries, that accepted the
recruitment of young girls to provide sex for Japanese soldiers.’
…
"’whether or not he believes it,’ the professor said. ‘Without
that kind of reflection on its past, I don’t see how you can really improve the
situation.’
Unquote
China and Korea’s reaction against Japan’s Yasukuni Shrine
visit makes clear that China and Korea believe Japanese people did something
awful in the past. However, how
much do we know about what we have done to them? I do not know much.
Without knowing the facts, there is no way for us to decide how to react.
In the U.S., there is a TV channel called History Channel. They broadcast historical issues all
day long, every day. I was surprised
how often they talk about WWII (They mostly talk about the attack at Pearl
Harbor). I was surprised they tell
the story of the war in a slightly different content than what I have learned
in Japanese history classes. I
cannot give you a concrete example now because I do not remember the details, but
the impression I had at the time was:
there are always two sides of coin. One sees the face and the other sees the tail.
If you think about it more carefully, though, it is important for us to learn the other
side’s point of view as well as ours.
If the truth exists, it should lay somewhere between the two countries’
viewpoints.
I have a personal experience about “comfort women” issue. A couple of years ago some American
friends of mine asked about this issue.
Those questions were very specific, whether Japanese solders raped those
women, and whether those women were tricked to come to the camp. I had no idea what really
happened. I was so embarrassed
that I could not answer, and could not tell what I as Japanese think about this
issue.
Japanese history classes and textbooks discuss the comfort
women issue, but only at a superficial level. They do not talk about what really happened. In my experience, when preparing for
the college entrance examination I needed to know when the comfort woman
actions happened, or which historical event “comfort women issue” is related.
It is clear that lack of knowledge in Japan about “comfort
women” and the other war related issues, does not do justice to the victims or
help us explain our current government officials’ actions such as visiting
Yasukuni Shrine.
Living outside of Japan, there are so many times when I am
asked to share my opinion about Japan.
It could be about Japanese politics, history, architecture, culture, etc. I know I am not necessarily expected to
give an answer like specialists on those topics, but I am asked what I think
about the matter. It shouldn’t be
okay that many Japanese people, including myself, are unaware of a matter like
“comfort women issue” and “Yasukuni Shrine visit” that are historically and
politically prominent and help place Japan’s relationship with their
neighboring counties.
Recently Japanese media discusses Japanese’s poor skills of English. Before we talk about Japanese people’s
English skills, it is more important for people to understand who we are, where
we come from, and where we stand.
If we do not have ideas and opinions to tell, language skills would not really
matter.